ガイドライン

配偶子および受精卵の取り違え防止のためのガイドライン

はじめに

配偶子および受精卵は将来人間になる可能性をもつものであり、医療一般に取り扱われているその他の細胞や組織とは全く別な細胞であることを認識しなければならない。
体外における配偶子および受精卵の操作は日本全国の大多数の不妊治療実施施設において、臨床エンブリオロジストなどの培養を担当する技術者が行っているという現状にある。この点において会員の9割以上が臨床エンブリオロジストで構成される本学会において、生殖補助医療における配偶子および受精卵の取り違え防止のためのガイドラインを制定するに至った。

日本における不妊治療実施施設の規模と臨床エンブリオロジストの人員数の現状

日本産科婦人科学会の倫理委員会からの2006年分の「体外受精・胚移植等治療周期からみた施設数の分布」についての報告によると、2006年12月31日現在で登録されている生殖補助医療実施施設575施設のうち回答のあった524施設についての集計では年間採卵件数が301周期を超える施設数は23施設(4.4%)にすぎない。それに対して年間採卵件数が100件以下の比較的小規模な施設の数は401施設(76.5%)と大多数を占めており、このことから日本全国の多くの生殖補助医療実施施設において臨床エンブリオロジストが1名ないし2名程度しか在籍していない施設がかなり多く存在していることが推察される。一般的に施設の規模が小規模施設化するに従って取り違え防止のための施策が不十分になる傾向にあるが、小規模施設であっても採卵日や受精卵培養が絶対に重複しないとは限らないので、大・中規模施設同様に取り違えの防止策を必ず備えるべきであると考える。日本臨床エンブリオロジスト学会では実施件数に大きなばらつきがあることにも十分に配慮して以下のガイドラインを制定した。

生殖補助医療における配偶子および受精卵の取り違え防止策における留意点

取り違え防止のために各作業工程においてダブルチェックを実施するという方法は極めて有効であることは容易に理解できるが、配偶子や受精卵への侵襲性へも配慮する必要がある。つまりダブルチェックを実施することは生殖細胞を非生理的環境下ともいえるインキュベータ外へ暴露する時間が延長することに繋がりかねないが、それがどの程度受精卵(胚)の個体への発生能力に影響を及ぼしうるのか現在のところ不明な点も多い。さらにはダブルチェックの実施により配偶子、受精卵あるいは精液の入ったディッシュなどの容器の転倒や落下など不慮の事故の発生頻度が増加する可能性があるなどの点も考慮にいれたルール作りが必要である。

具体的な配偶子および受精卵の取り違え防止策

  • 取り違え防止への参加者
    基本的に各作業工程においてダブルチェックが行われ、その履歴が残るような方法を取り入れることが必要である。臨床エンブリオロジストが1名しか在籍していないなど、配置人員数の問題から治療・検査の各工程でのダブルチェック実施が困難な場合には医師、看護師あるいは患者自身に参加してもらえる体制をとることが望ましい。なお、患者自身の参加に関しては、必ず受診者本人に氏名ともうひとつ、ID番号、生年月日、あるいは夫や妻の名前など本人であることを識別できる情報を必ず本人に声を出して発言してもらい、確認者はカルテ等でこの情報に間違えがないかを確認することが望ましい。以下の作業工程においてダブルチェックが行われ、そしてその履歴が残るシステム作りが実施されることを推奨する。
    1. 精液の入った容器の受け渡し
    2. 媒精・顕微授精時の卵子と精子のチェック
    3. 培地交換で新しいディッシュに胚を移動させる場合
    4. 胚移植時の移植胚の入ったディッシュの確認
    5. 配偶子および受精卵の凍結保存、融解時のストローなど容器の確認
  • 配偶子あるいは受精卵の入ったディッシュなどの容器への患者情報の記載
    配偶子あるいは受精卵の入ったディッシュなどの容器への患者情報記載に関しては、容器の蓋と本体の両方に患者氏名を必ず記載すること。さらに記載内容について患者氏名以外にID番号、生年月日、あるいは配偶者の名前など本人であることを識別するための情報をもうひとつ記載することが望ましい。数字情報、活字情報以外に印字カラーを数種類設け、カラー識別できるようにしてもよい。
  • ARTラボにおける配偶子あるいは受精卵の取り扱い基本原則
    1. ラボ内での配偶子あるいは受精卵の取り扱い作業に関して、一度に同一作業台上に置くのは一患者分だけとすること。
    2. 作業工程終了後は作業台上に配偶子あるいは受精卵、またはそれらの操作に用いた機材などが全く残っていないことを確認すること。
    3. 作業台上に配偶子あるいは受精卵の一部などが付着している可能性があるので、一旦消毒用エタノールなどの薬液で作業台上を一掃すること。
    4. 正確に実施されたことを示す記録(チェックリストなど)を残すことが望ましい。
    5. 遠心機の使用に関しても一度に一患者分の使用が望ましい。もし複数患者分を1台の遠心機で処理するならば、取り出す度に、各作業台に正確に振り分けられたことを確認するダブルチェックが必要である。
  • インキュベータ内における配偶子および受精卵の入ったディッシュなどの容器の収納場所管理について
    1. 配偶子あるいは受精卵の入ったディッシュなどの容器を同時期に複数名分、同一のインキュベータ内に入れて培養しないことが望ましいが、ラボの空間的制限などがある場合は何らかの工夫をすること。
    2. 配偶子あるいは受精卵の入ったディッシュなどの容器を同時期に複数名分、同一のインキュベータ内に入れて培養しなければならない場合には、インキュベータ内の同一トレー上に複数名分の容器を置いて培養することは控える。
    3. ART台帳などラボ内で管理する紙媒体や電子媒体の台帳にインキュベータ内での生殖細胞の収納場所が分かるように記載、あるいは入力する。
    4. インキュベータ本体の扉部分など外側に収納場所が分かるような標識を付すことを勧める。
  • ラボ内外の精液の入った容器の受け渡しについて
    精液の入った容器には蓋と本体の両方に患者自身の氏名とその他本人であることを識別するための情報を記載することが望ましい。できれば患者自身に記載してもらうのがよい。容器の受け渡しにおいては双方声出し確認を徹底することが望ましい。検査伝票に容器を渡す側と受け取った側双方の筆跡、あるいは捺印が残るような工夫が施されることを望む。
  • 採卵・受精卵移植
    1. 採卵あるいは受精卵移植前には必ず、採卵室担当スタッフ(医師、看護師、看護助手あるいは技師など)とラボの臨床エンブリオロジスト間での患者の声出し確認を実施すること。さらに予約台帳(紙媒体、あるいは電子媒体)での患者確認を行うことによるダブルチェックなどで患者間違いを防ぐことが望まれる。
    2. 受精卵移植に際しては、移植直前に担当の臨床エンブリオロジストが患者本人に直接確認を行うことが望ましい。
    3. 全ての操作工程における卵子(受精卵)の数、すなわち採卵数、受精卵数、未受精卵数、異常受精卵数、変性卵数、移植胚数、凍結保存胚数、廃棄胚数などは、ラボ内で活用している台帳あるいは診療記録に記載して管理しなくてはならない。
  • 配偶子あるいは受精卵の凍結保存操作・融解操作について
    配偶子あるいは受精卵の凍結保存操作や融解操作は患者カルテと予約台帳など、やはり2系統でのダブルチェックを行った上で実施されることが望ましい。

おわりに

安全で質の高い生殖補助医療技術を提供するにあたり、誤った培養方法および操作は厳に慎まなければならない。特に配偶子や受精卵の取り違いは、患者本人のみならず社会的な影響は甚大である。医療スタッフと患者との信頼関係構築のためのコミュニケーションの強化、また各作業工程に対するダブルチェック体制をとりいれることなどが重要である。安全な医療サービスを提供するためにも、十分に必要なラボの人員数を確保することを本学会として望みつつ、施設毎の諸事情を踏まえて独自に様々な創意工夫が行われることを願う。

作成

配偶子および受精卵の取り違え防止のためのガイドライン作成小委員会
立花 郁雄、沖津 摂、西原 卓志